「芸能人になるような娘は、うちの娘ではない!」

初めての仕事に向かう朝、母は娘の背中に化粧品の瓶を投げつけました。
19歳の夏目雅子さんは、何も言わず家を出ました。

それから9年間、母・スエさんは娘の作品を一度も見ませんでした。
『西遊記』で国民的スターになっても、
『鬼龍院花子の生涯』でブルーリボン賞を受賞しても、
母は娘を「女優」として認めようとしませんでした。

「友達は要らない。母がいればいい」
そう語っていた雅子さん。
しかし同時に、こうも言っていました。
「もっとも親しい敵は母だ」と。

愛しているのに、認められない。
認められたいのに、届かない。
27年間続いた、母と娘の静かな戦争。

そして1985年、白血病という診断。
病室で初めて、母は娘の作品を見始めました。
二人は一緒に「二輪のひまわり」の刺繍を縫いました。

しかしその和解には、取り返しのつかない代償が伴っていました。

「副作用の弱い薬を選んだことが、娘の死につながった」
母・スエさんは、その後悔を墓まで持ち続けることになります。

今日は、夏目雅子さんと母・スエさんの物語をお伝えします。
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📺 チャンネル「時代を生きた声」
昭和・平成を彩った人々の、語られなかった物語をお届けします。
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⏱ タイムスタンプ
ある夜、母は一人でテレビを見ていた
第1章:六本木の母
第2章:女優になりたい
第3章:化粧品瓶が飛んだ朝
第4章:「友達は要らない。母がいればいい」
第5章:父の手術を見届けた日
第6章:なめたらいかんぜよ
第7章:「ここから飛び降りてでも私は劇場に行く」
第8章:二輪のひまわり
第9章:沼田に帰りたい
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#夏目雅子 #昭和の女優 #母と娘 #鬼龍院花子の生涯 #時代を生きた声
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【参考文献・出典】
本動画は以下の資料を参考に制作しました。

📚 書籍
・小達スエ『雅子のいた日々』(1986年)
・宮尾登美子『鬼龍院花子の生涯』新潮社
・伊集院静 関連インタビュー・著作

📰 雑誌・新聞記事
・週刊文春、週刊新潮 当時の特集記事
・女性自身、女性セブン 追悼特集
・朝日新聞、読売新聞 訃報・追悼記事(1985年)

📺 映像資料
・NHKアーカイブス
・日本テレビ『西遊記』(1978年)関連資料
・東映『鬼龍院花子の生涯』(1982年)

🎤 証言
・兄・小達一雄氏のインタビュー
・付き人・銭神信子氏の証言
・共演者・西岡徳馬氏の回想

※一部、関係者の証言に基づく再構成を含みます。
※事実関係については複数の資料で確認しておりますが、
 記憶違いや資料による相違がある場合がございます。

2 Comments

  1. The Ai talk is very slow. I listened at 1.5 speed

    She was so pretty. I left Japan in 81. I will look for the movie and watch it

  2. 母にとって娘は分身だったのかも。娘は最後まで母の呪縛から逃れられなかったような気がする。